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インタビュー

最勝寺朋子さん


食品ロス問題をテーマにしたデビュー作の絵本『しらすどん』(岩崎書店)を2021年に刊行。2022年に小田原駅東口図書館にて原画展と講演会を開催し、好評を博しました。取材のため実際にシラス漁に行くなど、アクティブな最勝寺さんにお話しをうかがいました。

どんな子ども時代を過ごしましたか?

最勝寺:子どもの頃、近所には田畑がたくさんあって、友達と用水路で探検ごっこをしたり、田んぼでオタマジャクシを捕ったりして遊んでいました。

外遊びの多い活発なお子さんだったのですか?

最勝寺:家の中で絵を描いたりもよくしていましたね。両親がいない時に預かってくれた知り合いのおばさんに「ハサミの使い方が上手ね~」とほめられたのがうれしくて、工作も好きでした。

どんなものを作っていたのですか?

最勝寺:小学生の頃、硬貨を転がすと種類ごとに穴に落ちる貯金箱を作ろうとしたのを覚えています。結局10円と100円が同じ穴に落ちちゃったりしてうまくできなかったんですけどね。あと、ピアノを弾くのも好きでした。保育園にピアノの先生が来る時間があったので習い始めて、高校受験に集中するためピアノ教室を辞めるまで、ほぼ毎日練習していました。

今もピアノは弾きますか?

最勝寺:祖母が若い頃に中古で買ったピアノが今も家にあって。大して上手くないですが、絵を描く前や仕事の気分転換にたまに弾いたりします。好きなドビュッシーの曲の前に、指の運動のためにハノンのピアノ教本を何曲か続けて弾こうとしたら、その時点で腕がパンパンになっちゃって、「ダメだ!絵が描けなくなりそう!」と思って終わりにすることもあります。

疲れませんか?

最勝寺:なんかそれが気持ちいいんです。子どもの頃はただ鍛錬だと思って弾いていたのですが、大人になってからハノンがいかに練習する人の成長を考えて作ったのかを知ったり、意外と曲に情緒があると気付いたりしてからは違う意味で弾くのが楽しくなりました。今はちゃんと毎日練習しているわけではないので、筋力が追い付かないですけどね。

学校生活はどうでしたか?

最勝寺:虫をじっと見ながら気持ちを考えたりするような、私の変わったところも認めてくれた先生や、興味を持って調べたことや練習したことを表現する場を作ってくださった先生方がいらっしゃって、友達とおしゃべりするのも好きだったので、学校へ行くのが好きでした。もちろん、交友関係で悩んだり先生に叱られたりした日もありましたが、同居する祖父母から戦争や家の都合で勉強できなかった昔話を聞いて育ったので、小学生の頃から、自分が学校に通える境遇にあることをありがたいと思っていました。授業の中で初めてのことを知り、理解できることにはいつもワクワクしていました。逆に夏休みになると退屈で、「早く学校始まらないかな」と思っていましたね。

そういう子もなかなか珍しいですね。部活はどうでしたか?

最勝寺:中学校では吹奏楽部でクラリネットを担当しました。マーチングの大会に向けて行進やフォーメーションの練習もありました。大会の曲の中で、私だけ横へ1歩1mくらいの大股で進まないと次のフォーメーションに間に合わないところがあって、演奏しながら移動するのは笑っちゃうくらい難しかったのですが、先生が自分に難しいことを任せてくださったのが嬉しくて、今でもそのメロディーを覚えていたりします。高校ではソフトボールに挑戦しました。実はその頃50mを走りきれず転んでしまうほどの運動音痴でした。野球を見たこともあまりなかったので、人が走るスピードとボールを投げるスピードとどっちが速いか分からなくて、最初の頃の練習で、外野から2塁に送球する際、投げずに走って持って行っちゃったりしました。

周りの部員の人たちはびっくりされたでしょうね…。なぜソフトボールを選んだのですか?

最勝寺:同じ中学出身の友達が誘ってくれたからです。無謀にも、仲の良いその子と楽しく球を追いかけたら運動ができるようになるかも…と思いました。ほかの部員のみなさんは、一人だけ運動能力が著しく低い私のこともあたたかく励ましてくれました。放課後練習の後ひとりでグランドに残って走る練習をしていたら野球部の顧問の先生が走り方を教えてくれたりして、1年生のうちになんとか人並みに走れるようになりました。運動部のレベルではなかったと思いますが…。

小・中・高と充実した学校生活を送られていたようですね。進路はどのように決めましたか?

最勝寺:高校入学当時は美術系の大学への進学を視野に入れていたので、1・2年生の時は文系クラスにいたのですが、環境問題について関心が高まり、先生に頼み込んで高3から理系クラスに変えてもらいました。文系から理系へ変えたいという生徒はなかなかいないらしくて、先生方を困惑させてしまいましたが…。

あんまり聞かないですもんね。何かきっかけがあったのですか?

最勝寺:地元の宅地化が進んで原風景が失われていったこともあり、小学生の頃から人間の活動が自然環境に与える影響について興味がありました。ただ、もともと理数科目が苦手だったので、環境のことを大学で勉強する自信はなかったのですが、高校の生物の先生の授業が楽しかったことが背中を押してくれました。瓶の中に入ったハエを3世代育てて最初の番いの遺伝子を予想する課題とか、いろんな実験を経験させてもらえたことで私でも実感を伴って理解しやすかったのだと思います。
特に苦手だった数学も世の中のあらゆる物を数式で表せると分かってから面白くなりました。計算自体は今も不得意で暗算を間違えたりするんですけどね…。

大学では何を学びましたか?

最勝寺:地域の自然環境と人の暮らしの関わり方などについて学びました。生物・化学・物理・地学・考古学などの分野にとらわれず、自分の関心が高かった地域の環境をテーマに幅広く学べるので、興味深い講義ばかりでした。第一志望ではなかったのですが、偏差値や知名度だけを考えず、自分の学びたい内容で学ぶ場を選んで正解だったと思います。
地方の国立大学だったので、奨学金で学費を賄い、生活費をバイト代で工面する学生が多く、勉強できる体力と時間があることがどれだけ恵まれているか、考えさせられました。一度生まれ育った神奈川を出て、首都圏や都会から離れて暮らしてみるということも、とても大事な経験だったと思います。

大学卒業後はどんなお仕事に就きましたか?

最勝寺:タウンニュースの秦野編集室で6年間記者をしました。取材や写真撮影、紙面の編集だけでなく、広告の営業など、いろんなことをやらせて頂きました。ひとつの街で毎日いろいろな人と会ってお話を聞くことで、多様な考え方や立場、世の中の仕組みについて肌で体感できたことも良い経験になったと思います。会ったことのない人に電話でアポを取って話を伺いに行くことや、疑問点が解決するまで多方面に当たってみることなど、タウンニュースの先輩方から教わった取材のノウハウは、『しらすどん』を作る上でも役立ちました。今もお仕事で出会った秦野の人たちが「絵本、読んだよ」とお声かけくださり、応援してくださる方もいて、とても感謝しています。

絵本作家になったきっかけは何でしたか?

最勝寺:いつか絵本や児童書を執筆したいと思って学生時代からたくさんアイデアを書き溜めてきたのですが、童話コンクールに出してもなかなか引っかからず、入賞できた時も出版には結びつきませんでした。そんな中、仕事で取材した自然観察教室で絵本作家の先生と出会いました。5年間、その先生のお教室に通い、絵本の取材の一貫である生物調査にも何度か同行させて頂きながら、人に伝えることを意識して絵を描くことや創作の姿勢を学ばせて頂いたように思います。『しらすどん』は、その先生と仕事をしていた編集さんに原稿を見て頂いたことで出版の話に繋がりました。今思うと、恥ずかしくても自分の夢や目標を口にしてきたことで、周囲の人が気にかけてくださり、機会が得られたのではないかと思います。

こうして出版されたことをどう思いますか?

最勝寺:思っていたよりもたくさんの方が自分の絵本を読んでくださって、本当にありがたいです。出版まで導いてくださった先生や担当編集さん、印刷が難しい海の色を再現してくれた印刷会社さん、取材させて頂いたシラス漁師さん、ダイビングのインストラクターさんやダイバーの先輩方、見学させて頂いたゴミ処理施設の職員さん、疑問点に答えてくださった研究者の方々、作画のためにスケッチをさせてくれた子どもたちや友人たち、応援してくださっている本屋さんなど、協力してくださった皆さんのおかげです。

たくさんの人に取材をして作った絵本なんですね。

最勝寺: シラスがどんな風に生きてきて、残された食べ物を私たちがどう扱っているのかということは現実のことなので、図鑑や本で理解を深めたあと、現場の人や専門家の人に話を聞きました。水族館に通ったり釜揚げシラスを顕微鏡で観察したりして、誠実に描くことを心掛けていったら、どんどん写実的になっていきました。

確かに、シラスの一匹一匹もすごく細かいですよね。画材は何を使っていますか?

最勝寺:アクリル絵の具です。『しらすどん』のために初めて使いました。普段は水彩絵の具や色鉛筆、油絵の具、木炭、パステルなどいろんな画材を使っています。

好きな画家や作家さんはいますか?

最勝寺:尊敬している絵本作家さん、画家さんや作家さんはたくさんいらっしゃいます。小田原市の図書館には、版画家・洋画家の吉田博さんの水彩画の本があって、よく見ていました。明治時代の風景画は、他の方の作品も魅かれるものが多いです。

多くの分野を好きになったことも実を結んだ要因のように思われますが?

最勝寺:大学に入るまで、私は何か一つのことだけを選んで突き詰めることができなくて、自分が何を一番好きでこれから何をしたいのかよくわかりませんでした。でも、特別得意なことがないからこそ、そのとき好奇心が湧いたものを気の済むまでやってみるようになりました。無理して真面目に分野全部を習得しようとするのではなくて、興味のあるところから、まずは興味のあるところだけ勉強していく方が自分には合っているし、学びを楽しむ気持ちを大切にできると思います。

今後やってみたいことや、目標などはありますか?

最勝寺:まずは制作中の2作目を完成させることです。読者が能動的に想像をめぐらせられるような余白の多い絵本を作ることが今の目標です。

最後に中高生に向けてメッセージをお願いします。

最勝寺:今はコロナ禍であまり遠くへは出かけにくいですが、例えば学区内でもいつもと違う道を選んだり、普段自転車で通り過ぎる所をゆっくり歩いてみたりするだけで、新たな発見があったり、興味の湧く何かを見つけられるかもしれません。将来のことや自分のことで悩んだ時は、あまり話したことのない人に話しかけてみたり、図書館で馴染みのない本棚の本を借りてみたりすると刺激をもらえると思います。そんなときに選んでもらえるような本を私もこれから書いていきたいです。


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プロフィール

最勝寺朋子(さいじょうじともこ)
小田原市在住絵本作家。
鳥取大学地域学部地域環境学科を卒業後、タウン誌の記者に。第31回「日産童話と絵本のグランプリ」童話の部で佳作(団栗朝子名義)。川や海でのごみ拾いを通して海洋プラスチック問題を考える市民グループのリーダーとしても活躍中。