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イベントレポート

森谷明子さん講演会「物語の見つけかた」講演録(2023年8月27日)


講演会の内容を基に編集再構成しました。

講演会タイトルの「物語の見つけ方」には二つの意味を込めました。まずは、今までの私の糧になった「お話」について、どうやって出会えたか。そしてそのあと自分が書く物語はどこから見つけてくるのか、というようなお話にしたいと思います。
まず小田原とご縁ができたきっかけは、小田原高校に入学したことでした。何より印象的だったのは、何かの拍子にふと香ってくる潮の香りと、校舎から見た海でした。私は山育ちで海になじみがなかったので、海の色の変化や、空と海が絶妙な色合いのコントラストなど、小田原に来て海の表情の豊かさを知りました。 晴れ渡ったきれいな海よりも、曇っていて水平線が空と溶け合っていてよくわからないような海をよく覚えているのは、高校生の私が結構ひねくれていて、素直じゃなかったからかもしれません。
どんな高校生だったのか思い出すと、幼いし自意識過剰だし、頭を抱えたくなるような恥ずかしい思い出ばかりで、一言でいえば黒歴史につきます。だけど開き直ってみれば、未来もわからないし、現状の自分も好きではないし、迷い放題迷っていた自分が今に直接繋がっていて、迷っていなければ小説を書かなかったと思います。
フィクションを書く上で必要な要素って色々あって、多彩な作家さんたちはそれぞれの持論をお持ちだと思いますが、私の持論として大切なポイントがあって、自分のことがあんまり好きでないこと、あんまり自分に満足していない人間であること。自分に満足できていたら別世界のフィクションは必要ないと思います。だからリアルな自分以外の誰かになりたいとか、なれないのならかけ離れた何かを創ってみたいとかいう欲求がないと、フィクションを創らないのではないか。それは小説には限らなくて、どんなジャンルの創造物であっても、現実のものと違うものを創りたくなるときは、何かしら飽き足りないものがエンジンとしてあるからだと思っています。今言ったことを言語化して悟ったのは人生の後半からで、そこに気づくまでの私は、とにかくリアルな自分から逃避したくて種々の本に逃げていました。
今回東口図書館のエントランスに「森谷明子の本棚」として100冊ほど展示(※)していますが、これまでの読書で心に残った本を紹介しながら話を進めていきます。
※展示は終了しています。

『ジョコンダ夫人の肖像』

まず、児童書でカニグズバーグの『ジョコンダ夫人の肖像』です。レオナルド・ダ・ヴィンチをテーマに描いた本です。ジョコンダ夫人とはモナリザの別名です。モナリザのモデルには定説がなくて、なぜないかといえば、絵の中にヒントが少ないんです。当時の肖像画は有名な人が多くて、例えば身につけている宝石や背景にヒントがいっぱいあるのですが、モナリザは地味でアクセサリー一つない、そして黒い服。でもダ・ヴィンチはこの絵を生涯の最後まで持ち歩いて愛していた。それはなぜ、この女性は誰、というストーリーを貫いているのがこの本です。児童書なので難しい言葉は使っていませんが、深くて、衝撃を受けました。

『ゲド戦記 影との戦い』

次は中学生の頃の読んだ『ゲド戦記 影との戦い』です。ストーリーは、強烈な魔術を自分のものにできた少年のゲドが、どうしても振り払えないし、退治もできないという不気味な影にずっとつきまとわれて、何とかしてこの影の正体をつきとめて退治しなければ、と模索していく冒険物のファンタジーです。影の正体は何かというのは、児童書とは思えないほど深いし、この世の悪いものをやっつけろという単純な話ではなくて、それが、いいな~という意味ですごく印象に残りました。

『床下の小人たち』

次は『床下の小人たち』という小人のファンタジーを書いた連作ものです。以前ジブリがアニメにしました。『借りぐらしのアリエッティ』です。内容を大掴みにいえば、人間のすぐそばで人間の物をちょっとずつ借りて、だけど絶対に人間に知られないように隠れて潜んで生きていくという小人たちの話です。その中にアリエッティという人間に魅せられて、どうしても人間に近づきたいと思ってしまう少女の小人がいて、シリーズの最後では、なぜ人間は小人といっしょに生きられないのか、小人は人間から隠れるのかという説明があります。ただの冒険ものでもないし、人間と小人が仲良くしましょうで終わる話でもない。善と悪では割り切れない、恋とか愛でも片づけられないし、そういうものを教えてもらいました。

『ブラウン神父の童心』

中学生の頃ですが、風邪をこじらせて寝込んでいたときに、たぶん父親の本だったと思うのですが、コナン・ドイルとほぼ同時代の作家チェスタトンが書いた『ブラウン神父の童心』という文庫を手に取りました。ミステリーの短編集ですが、探偵役がブラウン神父という人で、この人が不気味で、一筋縄ではいかない。ユーモアはあるのですが、そのユーモアが人の生死に直結しているような、なんかひねった感じなのです。手から離せなくなって、次から次へと読みました。おしまいの方に『折れた剣』という短編があって、歴史ミステリーなのですが、一人の有能な軍人が惨憺たる敗北をして戦死してしまいます。その戦死した事情というのは、すごく無謀な作戦をとって敵の大群に突撃を命じて大敗北して亡くなった。有能といわれていた彼がなぜこの作戦を行ったのかという疑問を解き明かしていくというストーリーです。その真相が本当に怖かった。この世で一番怖いのは人間なんだ、と思ってますます体調が悪くなったのを覚えています。でもその時、歴史の「なぜ」を解明していくとそれはミステリーになるんだ、ということを強烈に教えてもらった本です。

『枕草子』

この辺からミステリーばかり読むような高校生になって、ぜんぜん勉強をしなくて、高校一年の冬くらいに、まともな本を読めというニュアンスで、親戚が『枕草子』を薦めてくれました。教科書にでてこないエピソードが結構面白くて、ミステリーしか読んでいないような高校生にも読めたんです。この中で一つ私の好きなエピソードがあるんですけど、作者の清少納言は仕えていた才色兼備の定子さんのことがほんとに好きで、清少納言が夢中になるような女性だった。あるとき雪がいっぱい降って、定子さんがお庭に降った雪を集めて雪山を作らせた。で、仕えている女御たちに、「この雪山はいつまで残ると思うか」と聞いたんですね。清少納言が「1ヶ月残ります」といった。1ヶ月はいくらなんでも無理だろうと周りがいうもんですから、「絶対に1ヶ月残ります」と意地をはった。あきれている定子さんと賭けのようになってしまった。清少納言は意地でも残してやろうと思って、自前で番人を雇って、溶けないように番をしてもらい、本当に1ヶ月残ったんだそうです。定子さんに報告しようと思っていた次の朝、雪が全部なくなっていた。清少納言がぼ~としていたところへ、定子さんが「雪どうなった?」と問いかけると、「誰かが私が成功するのをねたんであの雪を全部とってしまったんです」と答えた。すると美貌の定子さんがほんと華やかになって、「ごめん、おまえが勝ったら妬ましいから、私が片づけさせちゃった」といった。定子さんも清少納言もお互いのことが大好きで、信頼していて、清少納言ならこれくらいのことは許してくれるだろうという気の許しがあったからできた。清少納言は、「私勝ったんだからね、本当はね」と書いて世に残した。こういった話が『枕草子』に満載されているんです。この辺が面白くて、日本の古典って今でもありそうで、半分ふざけて、半分本気で、でも優雅な世界が日本にあったんだ、と教えてもらいました。だから『枕草子』を薦めてくれた親戚には感謝ですね。そのあと定子のことを調べたんですが、定子はそんな幸せな一生を送れた人ではないんです。定子の父親が最高権力者の関白で、父親が亡くなったあとは後ろ盾を無くして、立場がどんどん弱くなって、数え年25歳で亡くなっているんです。晩年は政敵の藤原道長に追い落とされる立場だった。どちらかというと悲劇の人として書かれる人ですが、『枕草子』では明るく書かれている。この差は何なんだろう、書かれたものと実際にあったことはひょっとしたら違うのではないか、とこの辺からぼんやり思い始めた気がします。

『星合う夜の失せもの探し』

そんな高校生が大学に進んで、相変わらず自分の好きな本を読んでいるような大学生でしたが、やがて図書館の司書になって、幸い横浜市に採用されました。実は先日『星合う夜の失せもの探し』という図書館を舞台にした本を出すことができたんですが、そこにも書いたように図書館を作るための準備室の配属になって司書としての人生が始まりました。司書になってからの方が大学生の時より勉強しました。というかせざるを得ませんでした。図書館では毎週蔵書にする本を決める選書会議があって、新人であろうとこわい先輩方を前に選書した根拠を説明しなくてはいけないんです。いい勉強をさせてもらいました。ここで新たな本ともたくさん出会えました。児童書も知らなければご案内もできないので児童書も読み直しました。

『みずうみにきえた村』

その中で出会った絵本が、バーバラ・クーニーの『みずうみにきえた村』です。100年以上も前のアメリカののどかできれいな村が、ダム建設で沈められるという話です。それを感傷的にもならず、時代の流れの中で消えていくんだということを教えてくれた代表的な作品です。100年以上前の話で、今後行くこともない場所ですが懐かしさを感じました。山とか空とかおじさんたちのたたずまいとかが田舎で育った私には懐かしいと感じました。経験したこと以外でも共感できるものが世界中にはある、ということを教えてくれる本に出会ったのが図書館司書の時代です。
本を書いてみたいと思い始めたのは30歳を過ぎてからです。いろんな新人賞に応募してみましたが、結果がでなくてあきらめかけたときにある児童文学のファンタジー部門新人賞の選外佳作になりました。その選評で「説明的すぎる、理屈っぽい」といわれました。そこで思う存分理屈っぽくても許されるジャンルは何と考えたときにミステリーですよね、と思いました。ミステリーなら理屈っぽくても、説明的でも許されるカテゴリーなんだと、選評のおかげで気づかされました。でも世の中にミステリーはたくさんあって、割り込む余地はないだろうと考えたとき、平安時代はどうなんだろうと。20年以上前の話ですが、まだ王朝を題材にしたミステリーというのは少なかった。これまでに出会ったいろんな物語が道標になりました。ただそれをそのまま使うわけにはいかなくて、その種から独自のものをつくらなくてはいけない。史実、事実とは違う書き方をしても物語というのはそこから膨らませることはありで、むしろそういう物語を面白がって受け継いでくれる人がいて、それで物語は広がって生き残っていくのではないか。歴史上の小さなことでも、なぜに説明を加えたら一つのストーリーになるということも教えられました。自分が懐かしいと思う風景を描いたら、ひょっとしたら自分以外の誰かにも共感してもらえる、ということにも気がついた。そういうことを盛り込んでもう一度チャレンジを始めました。

『千年の黙 異本源氏物語』

さっきお話した『枕草子』に、当時猫に結構な官位をあたえるほど猫が大好きな天皇の話があって、そういう話が好きだったので、スタートをそこにしました。先ほど触れた定子皇后は、皇子皇女を生んでいますが、『枕草子』では触れていない。定子さんの父親が亡くなって大変なときのエピソードも残していません。そういうこともまぜこぜに盛り込んで書きました。ある児童文学の新人賞に応募して落選しましたが、そのあと編集者から連絡がきたんです。このままでは出版できないけど書き直してみないかといわれて、喜び勇んで3回くらい書き直しました。最終的に編集者から、「もう直すところはどことはいえないが、うちの児童書としては出版できない」といわれました。今から思えばここがもう一つのターニングポイントで、じゃあ一般書でチャレンジするしかないということになり、でも一般書としては枚数が足りないんです。ではどうするってなったときに、『枕草子』についていいたいことを書いたつもりだったけど、『源氏物語』にもいいたいことはあるな、と。平安時代で一番メジャーな人はたぶん紫式部でしょと。じゃあこの際、紫式部と源氏物語も盛り込むかと。3~4年くらいかけてようやく書き上げたのが、『千年の黙 異本源氏物語』という源氏物語を題材にした物語でした。幸い好意的な評価をいただけて、鮎川哲也賞をいただきました。これでスタートが切れたと思ったときは40歳を超えていました。そして今に至っています。

『春にして君を離れ』

自分が作る物語は、どこからか何か種を拾ってこなければいけないし、種があってもすぐには形にできない、すごく時間をかけています。先程お話した『星合う夜の失せもの探し』では、10代からの読後感を題材にしているのですが、その一つが、アガサ・クリスティーの『春にして君を離れ』です。ミステリーではありませんが、一番好きだという人もある程度いる独特な本です。素材としても、そんなに派手な本ではなくて、ものすごくこわいという人も、印象的だという人もいる。ちょっとこの終わり方はつらくて切ないという人もいる。そういういろんな読後感を持つ本ですけど、ちなみにクリスティーはこれを1週間で書き上げて、1回も書き直していないそうです。天才ですね、やっぱり。これを読んだのは大学生のときですが、結末にん~これはちょっとつらいな、という違和感ではありませんが、読後感をもっていました。本を読んだ感想は人それぞれで、正解はない、ということの題材としてこの本を使わせてもらいました。

『風と共に去りぬ』

それから有名な『風と共に去りぬ』という本です。南北戦争を題材とした本で、映画化もされていますね。これについても最初に読んだときからなんだかな~と。これは他の進め方してもいいんじゃないかと、小さな違和感としかいいようもないひっかかりがあり、40年越しで『星合う夜の失せもの探し』に書きました。手元にこの本の旧訳版がなくて、図書館で読みました。図書館には常にいろんなところでお世話になっています。
資料を探す場合は、自分だけではどうしようもなくて、ネットから深掘りもできますが、やっぱり最後のところは図書館に行きたくなる。図書館に行くと、自分がピンポイントで探した本のまわりで思いつかないような次のヒントをもらえる。次へ次へと広げてくれます。少し前に1964年を舞台にした本を書きましたが、その年がどういう感じだったわからなかったので、ひたすら新聞の縮刷版を読みました。図書館がないとお手上げです。そのとき入り浸っていたのは、広尾の都立図書館でした。新刊本の書店も大事ですが、新しくない本がある図書館は、別な意味で貴重で、いつまでもあってほしい場所です。その大事さとか貴重さとか、図書館はいい場所だと思ってくれる人がたくさんいることが図書館にとっては何より大事なんだろうな、と思います。

プロフィール
森谷明子(もりやあきこ)
神奈川県生まれ。2003年、王朝ミステリ『千年の黙(しじま) 異本源氏物語』で第13回鮎川哲也賞を受賞しデビュー。卓越した人物描写とストーリーテリングで高い評価を受ける。著書に、図書館司書の経験を活かした、秋葉図書館の四季シリーズ『れんげ野原のまんなかで』『花野に眠る』の他、『春や春』『七姫幻想』『深山に棲む声』『涼子点景1964』『葛野(かどの)盛衰記』『FOR RENT 空室あり』、最新刊『星合う夜の失せもの探し: 秋葉図書館の四季』(東京創元社)など。