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イベントレポート

【開館5周年記念】岩井圭也さん講演会講演録(2025年10月25日)


『われは熊楠』で第171回直木三十五賞候補に選出されるなど、注目を集める岩井圭也さんに、「小説家として生きるということ」をテーマにご講演いただきました。
※講演会の内容を基に編集再構成しています。

 今日は、大きく2つ、作家になった経緯と、もう1つは、小説家という珍しい仕事をしている人間はどういう日常を送っているのか、というお話をさせていただきたいと思います。
 まず、私と図書館との関わりをご紹介します。私は大阪府の枚方市出身ですが、図書館で「スマーフ」のシリーズを借りて読んだというのが一番古い記憶です。私の地元にあった図書館に足しげく通っては、「かいけつゾロリ」、「ズッコケ三人組」、「シャーロック・ホームズ」シリーズなどを借りて読んでいました。

初めて書いた小説

 小説を書き始めたきっかけも、実はこの頃にありました。当時、小学館から出ていた「小学三年生」という雑誌に、とても面白いミステリーが連載されていたんです。それが北森鴻先生の『ちあき電脳探てい社』(文庫の書名は『ちあき電脳探偵社』)。子ども向けのライトなミステリー小説で、めちゃくちゃに面白かった。頭のいい女の子と巻き込まれ型の主人公の男の子が事件を解決するストーリーで、毎月すごく楽しみに読んでいたんですが、当然、連載は3月で終わってしまうわけです。どうにかしてこのショックを和らげる方法はないかと考えて、自分で書いたらいいんだ!と、自給自足から小説を書き始めました。これは、あるあるというか、例えば同人誌を書かれる方で、あのキャラとあのキャラのカップルで読みたいけど、そんなものは世の中にないから自分で書こう!と創作活動を始めることが多いみたいなんです。それは、すごく強い動機だと思っていて、他人を楽しませることも大事だし尊いんですけど、自分が楽しむことが核になると、飽きない。そういう意味では、自分で書いたらええんや、という結論に至って書き始めたのは、我ながら非常に幸せだったと思います。
 とは言うものの、10歳頃なので、なかなか最後まで書けないんです。トリックも、今考えると稚拙ですけど、体操袋の中に鉛筆を隠して、その鉛筆の跡でバレるみたいな内容でした。設定は凝って考えていて、主人公が小学生でクラスメイト30人の名前と顔写真は作るんです。でも、肝心の小説は書き切れないんですよね。

中学・高校時代に出会った本

 その後も中学生や高校生の頃に、折に触れて小説を書いてみようとはしていたんですが、毎回最後までは書き切れなくて断念する、ということが続いていました。中学・高校時代は、推薦図書に出てくるような本や売れていた本ではなく、変わった本を読んでいました。印象に残っているのは、高校生の時に読んだ井上ひさしの『吉里吉里人』。超名作で日本SF大賞を受賞している本なんですが、とても分厚い!図書館で異様に分厚い本を見つけて、そのまま読み始めたら夢中になって3時間くらい読んだあと、借りて帰って家で読み終わったという本でした。東海林さだおの『アイウエオの陰謀』は、タイトルで「なんじゃこりゃ」と思った小説です。あいうえおの並び順で、実は陰謀があるんだ、という言ってみればユーモア小説がいっぱい入っているんですけど、面白くて、ここから東海林さんの世界にはまっていきました。清水義範の『バールのようなもの』は、タイトルの通りです。ニュースでよく報道される「強盗が入りました。犯人はバールのようなもので扉をこじ開けたようです」という、この「バールのようなもの」とは何?というのをひたすら考察するだけの小説です。これもユーモア小説ですね。司馬遼太郎の『新選組血風録』は、中学2年生の時に読みました。
 いま紹介した本は、全部、図書館だから出会えた本です。書店も大好きで行きましたし、本も買っていましたけど、例えば『吉里吉里人』に新刊書店で出会って、しかも買って帰れるのかと言えば、中高生では無理です。他の本も同じで、そもそも店頭に並んでいない。図書館には、新刊書店だともう扱っていないような本が結構ある。こういう本と偶然出会えて、家に持ち帰って最後まで読めたのは、図書館だからこそできたことだし、今の自分を形作っている本というのは、全部、図書館のおかげで出会うことができたんじゃないかなと思っています。

図書館と書店の関係性

 最近、図書館で本を読むことに関して、サイン会などでよく言われることがあります。申し訳なさそうに「今までの岩井さんの本は、ぜんぶ図書館で借りて読んでいるんです」と。全然、申し訳ないと思う必要はなくて、それは昔、私もそうだったからです。大人になってからも図書館で本を借りて読んで、すごくいい出会いをしているということもあります。分厚くて4000円くらいするような本でも、どんな本か内容がわからなくても、借りられる。気軽に挑戦できるわけです。図書館に並んでいる本は新刊書店にないし、新刊書店に並んでいる本は必ずしも図書館で借りられるとは限らない。図書館と書店、古書店は、かなり双方向的な関係だと思います。よく図書館で借りると作家に印税が入らない、というような言説がありますけど、むしろお互い補い合っている関係だと思います。例えば、井上ひさしの有名な本は書店でも買える。ただ、それほど有名ではない本はなかなか買えない。絶版になって買えないかもしれない。逆もまたしかり。だから、食い合うのではなくて、手をつないで、相互的に存在すべき関係ではないかと思っています。

大学時代の挫折と覚悟

 高校を卒業後、北海道大学に進学しました。学生時代は大好きで、すごく楽しかったんですけど、めちゃくちゃ挫折しました。体育会の剣道部で週6日稽古して、それでも最後まで選手にはなれなかった。大学院の修士課程に行って、研究もうまくいかなかった。何の成果も残せなかった。でもこの「何もうまくいかなかった」ことで、私は小説家になれたと思っています。剣道も研究も頑張ったのに、うまくいかなかった。それなら他で頑張るしかないという悟り、開き直りで、小説を書くしかないという覚悟が決まったわけです。
 あるとき、剣道の関東遠征で立ち寄った品川駅の書店で「小説を書くんだ」ということを唐突に思い出しました。まず、小説を書くための準備が必要だろうと思い、今書いてもまた途中で書けなくなるだろうから、とにかく本を読もう、とこの辺りの著者(※)の方々の本を読んでいました(※町田康、伊坂幸太郎、森見登美彦、米原万里、舞城王太郎、佐藤友哉、東海林さだお、原田宗典、東野圭吾、宮部みゆき、中原昌也、三浦しをん)。

就職、新人賞へ投稿の日々

 大学を卒業後、某メーカーに就職して、新人研修が3ヶ月ありました。毎日8時30分に出社して17時15分に帰宅する生活で、暇な今なら小説を書けるかもしれないと思ったんです。新人研修期間が異様に長かったおかげで、生まれて初めてやっと短編小説を最後まで書くことに成功しました。私の場合は、挫折と暇、これがないと小説が書けなかったということです。
 長い小説が書けたところで、新人賞に応募してみたら、一次選考を通過してしまったんです。そこから、色々な出版社の新人賞に投稿しまくるという日々が始まりました。ここで大学生の時、全然結果が出なかった経験が関係してくると思っています。人には適性というものがあり、向き不向きがあるんだと、頑張ればなんでもできるわけではないんだと考えた時に、自分は何ができるんだろうと振り返ると、小説でした。
 6年ほどメーカーの研究職としてフルタイムで働きながら、朝4時に起きて2時間書いて、21時30分に寝て、また4時に起きて書いて、というような生活をしていたんですけど、結果が出なくても続けられたのは、学生時代にきちんと挫折しきった、というのが大きい。挫折したおかげで覚悟が決まったと思っています。

小説をいっぱい書くこと、生活リズムを整えること

 私は、才能がないという風に自分を見ていました。小説を書く才能があるなら1年でデビューしているから。才能はないと、まず自認をして、ないならないなりの戦略がいると考えた結果、いっぱい書く以上の作戦を思いつかなかったんです。新人賞に投稿していた6年の中で250万字ぐらい書いていました。1年で40万字。だいたい本1冊で10万字や15万字なので、本3冊分くらいです。それほど書く生活を続けて、なんとか新人賞をもらえたという感覚でした。
 作家になっても、基本的にはたくさん書くことしか思いつかなくて、最近、書きすぎて怒られています。7年で28冊出すというのは狂気の冊数で、編集者に久しぶりに会うと、「岩井さん、そろそろ減らしてください」と言われます。プロモーション期間が短くなってしまう、という実用的な理由なんですけど、ある程度は書かなければうまくならないし、確率論的にも自分でヒットを選べるわけではない。編集者も自分の担当作を全部ヒットさせたいに決まっていますし、作家だって全作品が100万部出てほしいのは当たり前ですけど、そんなことは不可能なので、ある程度は量を書かないといけない、と私はずっと思っていました。
 3年前に10年間勤めたメーカーを辞めて、専業作家になりました。私が兼業作家から専業作家になって最初にしたことは、生活を作り直すことでした。1ヶ月で400枚ほど書いていたら、自律神経が乱れて体を壊しかけてしまったので、これはいかんなと。自分がちょうどよく書ける枚数や睡眠時間などの基本的なことですが、もう一回、生活リズムを整えました。大事なのは、いっぱい仕事をすることと、きちんとした生活を維持すること、その2つです。
 作家の生存戦略としては、面白い作品をいっぱい書く以上のものはなくて、マーケティングなどに気を取られすぎると意外と見過ごされがちな気がしています。忘れかけたらここに立ち戻ったほうが良いと思っています。

小説家の日常

 小説家の仕事は書くことです。私たちの仕事は基本、原稿を書くことなので、99%は家かカフェに閉じこもっています。そもそも、何のために原稿を書いて、誰に渡してどう発表されるか、あまり知られていないかもしれないので、お話ししたいと思います。
 小説の出版は、大まかに2つに分けられます。1つは書き下ろし。書き下ろしは、書いた原稿がそのまま本になるもの。もう1つは連載で、文芸誌、新聞など色々な媒体の連載を経て本になります。

執筆から出版まで

 7年も経つと、小説の執筆はもちろんですが、それ以外の執筆も依頼してもらえるようになります。新聞や雑誌、書店発行の雑誌などに掲載されるエッセイの依頼や映画のパンフレット、文庫本の解説や書評を書いたこともあります。私が一番最初に書いた解説は、小説を書くきっかけになった北森鴻先生の小説でした。エモい話なんですけど、嬉しかったですね。作家になって初めて書く解説が「北森鴻」っていうのが良かったです。
 このように小説を軸として、さまざまな書き物全般をしています。小説を執筆するには、いくつかの段階を経ています。あくまで私のケースですが、大体、最初に編集者と打ち合わせをします。「次に何やりましょうか」「あれ面白かったですよね」「最近あの事件が気になるんですよ」「こういうのが書きたいんです」と話し合って、打ち合わせをする。そこからプロットと呼ばれる設計図を作成するわけです。編集者とのやり取りで、まずプロットを磨いていきます。現地取材や企業に足を運んで、実際に話を聞いたこともあります。資料も集めますが、入手自体が困難なことも結構あります。科学論文が参考資料になることもあります。ある程度、現地取材や資料収集が終わって、プロットもOKになると、いよいよ執筆です。今、私が書いているペースは、1日に原稿用紙10枚ぐらいなので3000字から4000字。これ以上書くと体調を崩すことがわかってきたので、調子が良くても抑えています。原稿用紙500枚分書きました。よし、出版しましょう!とはならず、編集者が原稿に鉛筆で書き込んだものが送られてきます。「ここをこうしましょう」という書き込みを見て、うわーという気持ちで直していきます。でも、推敲はすればするほど作品が良くなるので、前向きに練り直します。推敲を経て、入稿すると今度はゲラが出てきます。ゲラというのは、実際に本の形になっている原稿だと思ってください。このゲラに、校閲、校正が入ります。誤字脱字や語句の統一ができていない、そういう簡単なものから、「何年何月何日の月は、満月ではないですが良いですか」など「どうしてわかるの?」と驚くようなものまで、チェックされます。それに対して、日付の方をずらすとか、あえて史実と違うように書くなど、一つずつ採用・不採用の選択をして、ゲラ作業を少なくとも2回、場合によっては3、4回した後、ついに出版という流れです。「小説を書いています」と言っても、実はどの工程のことか、作家によってバラバラだったりします。

1%の華やかな仕事

 次に、執筆以外の1%くらいの華やかな仕事の紹介です。『最後の鑑定人』がドラマ化した時は主演の藤木直人さんと対談し、『われは熊楠』の刊行記念では、作家の岸田奈美さんと対談しました。こういう仕事がみなさんの目につきやすいところかと思います。講演やトークショー、ポッドキャストに出ることもあります。
 私の仲の良い友達で直木賞作家の今村翔吾は、新人賞を自分でプロデュースするとか、色々な活動をしている変わり者ですが、活動の基盤になっているのが、「一般社団法人ホンミライ」です。彼が代表理事、私は理事を務め、一緒に活動しています。その今村さんつながりで、1年ほど「横浜市立南高校」の文芸同好会のコーチをしています。私が1個テーマを出し、みんなで30分集中して小説を書き、最後に講評するという内容です。小説を書いたことがない高校生もいるんですけど、「私も書くので一緒に書きましょう」、と言うと、絶対にみんなが1本書きあげます。その気になれば誰でも書けるんだ、ということを活動の中で強く感じています。
 ここまで、小説家の仕事について紹介しましたが、すべての根底には執筆があります。小説を書いているから講演の依頼がくる。コーチの話がくる。私の仕事の根底には小説の執筆があって、仕事の99%、98%くらいは小説を書くことです。

変わった活動

 出版業界は少なくとも紙の本という言い方だと、ずっと右肩下がりというのが現状です。作家も出版業界も当然この状況がOKと思っているわけではなくて、みんな危機感を持っています。そこで、私が始めたのが出版業界の外にいる異業種の方と一緒に仕事をすること。わかりやすい例は映像化で、デビュー作『永遠についての証明』がNHK BSでドラマになりました。普段小説を読まない人も呼び込む、多くの人に届ける機会になります。
 今年8月に出した『サバイブ』は、小説とショートドラマを同じ日にリリースしています。おそらく史上初です。実際のモデルになった会社が、動画制作会社なんです。社長と私が同い年で、意気投合した勢いで小説を書き、その会社がショートドラマを作って配信しました。各所に調整をしてもらい実現できたわけですが、若い人から、昔、頑張って働いていた人にも楽しんでもらえました。一生懸命働く人の小説が読みたかった、と幅広い年齢の方に読んでいただいている小説です。
 別の話になりますが、小説を読んでもらう人を増やしたかったんです。今、文庫でも1000円、単行本は2000円以上することもあって、値段が高い。そこで、タダで配れば読んでもらえるんじゃないかと思いついて、京王電鉄の駅を舞台にした小説を無料で配布するという企画を8駅くらいで行いました。京王電鉄としては、小説の舞台へ行きたいと思ってもらえて、街歩き需要ができればハッピー。私としては、無料で小説を配布してもらえて、読者が増やせてハッピー。というお互いにとって良い企画なので、もう2年以上続いています。しかも1冊、本になっています(『いつも駅からだった』)。
 同じような取り組みでいえば、母校の北海道大学とも行っています。北海道大学は、来年が創基150周年にあたります。その記念に小説を執筆して、冊子を北海道大学構内、札幌の時計台、北海道庁赤れんが庁舎、あとは北海道内外、神奈川県でも配っています。1冊ポンと配布するだけではなくて、全5話やりましょうと。第1話は7月、第2話がちょうど10月から配布を始めたところです。
 鉄道会社や大学など、今まで出版と関係がなかった業界、企業と協業して働きかけることで、今まで届かなかった人たちにも小説を届けることができるようになってきた感触があります。作家として、面白い小説をたくさん書くことは大前提として、小説を「届ける」ことにも自分で挑戦していきたい。これが岩井圭也という作家の特殊なところかと思います。

作家としての使命

 最後に、小説家になった以上は夢がたくさんあります。世界に打って出るぞという人、直木賞を取りたいという人、100万部出したいという人にも共感はするし、機会があればぜひ挑戦したいところです。ただ、出版業界には新しいアクションが必要で、小説と社会との新しい関係を書き手として開拓していくことが、私の作家としての使命なのかなと思っています。今後も頑張っていきたいと思います。ありがとうございました。

プロフィール

岩井圭也(いわいけいや)
小説家。1987年生まれ、大阪府出身。2018年、「永遠についての証明」で第9回野性時代フロンティア文学賞を受賞しデビュー。2023年、『最後の鑑定人』で第76回日本推理作家協会賞長編および連作短編集部門候補、『完全なる白銀』で第36回山本周五郎賞候補。2024年、『楽園の犬』で第77回日本推理作家協会賞長編および連作短編集部門候補、『われは熊楠』で第171回直木三十五賞候補。